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「意図せず」最も人を殺したテクノロジー 燃焼機関技術など意見様々 - livedoor

Illustration: Angelica Alzona (Gizmodo US) 

物とテクノロジーは使いよう。

テクノロジーは便利だけど、その裏で意図せずに大量殺人を犯している場合がある、と10人の学者たちが言及しています。

マシンガンや核爆弾を発明した人たちは、ある程度自分たちがなにをしているのかわかっていたはず。では印刷機や自動車を発明した人たちはどうだったでしょうか? きっと彼らは世界をよりよくしたい一心だったはずです。そして実際、彼らの恩恵にあずかって新聞を読めたり、ドライブに行けたりしているわけです。

しかし歴史に照らしてみると、その新聞や自動車のせいで何万人もの命が奪われていたとしたら…。

テクノロジーが殺したのでしょうか。それともテクノロジーを作り出した人が殺したのでしょうか。意図せず人の命を奪ってしまう技術は、なぜ生み出されてしまったのでしょうか。

あらゆる疑問に専門家が答えてくれる「Giz Asks」シリーズ。今回は、意図せず人をもっとも殺した技術の数々をご紹介します。

Peter Norton:航海技術と燃焼機関技術(エンジン)

バージニア大学科学技術社会学准教授

時は1963年。アメリカの銃器メーカー、ウィンチェスター・リピーティングアームズ社のTiny Helwig氏は、「銃は人を殺さない。人が人を殺すんだ」と言いました。しかし、人は銃やそのほかの技術を用いて、それらがなかったよりもはるかに多くの人々を死に至らしめてきました。

世界人口のうち殺された人の割合で「殺傷能力」を示すならば、史上最悪なのは航海技術でした。船舶の設計技術、また羅針盤や十字棒などの航法計器が発達するとともに、人は船に乗って未知の大陸を目指しました。銃と同じく、船そのものは人を殺しません。しかし、船に乗った人々の胸中にうずまく心ない野望が巨額の富を欲した時、その殺傷能力は発揮されたのです。1492年以降の100年間で、アメリカ大陸にもともと住んでいたネイティブアメリカン人口は約5千万人も減少しました。ヨーロッパ人が天然痘やはしかなどを持ちこんだせいでした。

けれども、殺された人の総数で言うならば、航海技術をも上回る殺戮を犯しているのは燃焼機関技術でしょう。古くから、熱を動力に変える玩具の類は存在していました。変化が訪れたのは1712年、イギリスのトーマス・ニューコメンが蒸気機関を発明してからです。彼は火を使って真空を作り出すことにより、大人の人間が入れるぐらい大きなシリンダー内でピストンを稼働させることに成功しました。そして、このピストン運動により石炭坑の内部に溜まった水を汲み出すことに成功し、絶賛されました。ニューコメンの機械は、建物丸ごとひとつ分ぐらいある大がかりなものでした。おびただしい量の石炭を燃やすかわりに動力はちょっとしか生まなかったものの、燃料は安く手に入りましたし、十分価値があるものとして社会に受け入れられたのです。

魔法使いの弟子さながら、ニューコメンは自分の知識で制御できないほどに大きな力を生み出しました。彼の発明から脈々と受け継がれてきた技術のひとつに、現代のガソリン車を動かすエンジンがあります。ニューコメンが発明したのは石炭を燃料とする蒸気機関だったのに対し、今ではガソリンを燃やす内燃機関に発達しています。しかし、両者とも化石燃料を燃やして貯蔵されている化学エネルギーを取り出し、動力に変えているという点ではいわば同じ技術です。

18世紀以前、労働はすべて筋力(人間か他動物の)、風力、または水力によって行われていました。そして、ニューコメンが人類初の燃焼機関を発明した1712年以降、労働の大半は化石燃料を燃やして得られるようになりました。機械が人間をつらい肉体労働から解放しただけでなく、水と食糧の配給を広め、下水処理の改善し、より高度な医療を提供して数えきれないほどの人命を救ってきたのも事実です。

しかし、ここでも人間の貪欲さがあらわになり、結果として燃焼機関という技術が多くの命を奪うことになりました。イギリスの繊維工場にあてはめて考えてみると、供給が追いつかないほど繊維の需要が高まったために、植民地では繊維の原料となるコットンの供給が多量に求められ、結果としてコットンを生産するプランテーションで働かされていた奴隷たちが酷使されました。燃焼機関の発明以前にも大西洋の奴隷貿易は行われていましたが、燃焼機関の導入により奴隷制度の収益がはるかに上がったのです。

燃焼機関は新しい工業貴族たちに富をもたらしました。代々継がれてきた称号や肩書を持たなかった彼らは、自分たちの恵まれたステータスを富によって誇示しようとしました。その方法のひとつが砂糖で甘くしたお茶を飲むこと。その砂糖は奴隷労働によってもたらされました。

奴隷貿易は何千万人もの命を奪い、奴隷労働はさらに何千万人もの命を奪いました。サトウキビを生産するプランテーションはアメリカでもっとも劣悪な強制労働収容所でした。欲、人種差別と無関心が重なり、人間の労働負担を軽くするはずの燃焼機関という機械が大勢の人間を死に追いやりました。

蒸気機関の前にも病の流行はあったものの、世界規模のパンデミックは蒸気船によって運ばれました。もとは南アジアに限定されていたコレラ菌は、1820年代から1830年代にかけて世界中に広がりました。蒸気船がコレラ菌の蔓延を加速化し、より遠くまで運んだのです。コレラが入ってきた多くの都市では、燃焼機関が労働の密度を高め、人々を大きな工場内に集結させていました。また、車の発達により食糧の普及が広まったおかげで、何千人もが密集して暮らしていました。要するに燃焼機関が都市に人を密集させ、密集した都市では病が流行しやすくなったのです。水に媒介されるコレラや腸チフスは、特に密集した都市部で猛威を奮いました。下水が飲料水を汚染したためです。燃焼機関によってもたらされた下水システムや飲料システムは、このような事態において感染を広げる理由にも治癒する原因ともなったのです。

自動車事故だけでも過去100年間におよそ7千万から9千万人の死者を出しています。そして、毎年130万人の犠牲者を出し続けています。車の往来が激しい道路沿いで生活する人は、多量の自動車排気ガスにさらされて寿命を縮めています。アメリカなどの車の普及率が高いところでは、車以外の移動手段を持たない人々が運動不足となり、多くが心臓病に倒れ(アメリカでは死因の一位)、肥満や糖尿病を患って寿命を縮めています。

燃焼機関がもたらす悪影響は、これからより一層顕著になるかもしれません。地下水を汲み出すために発明された燃焼機関ですが、いまやこの労働を地球規模で行っています。燃焼機関が二酸化炭素を排出し続けているため、海水位が上昇してきており、地球規模の気候変動が人々の生活を脅かしています。今後食料と水のサプライチェーンに悪影響を及ぼし、何千万人もが住んでいる大都市を居住不可能にしてしまいかねません。

そして、わたしたちはその力をどうやって止めたらいいのかがわからないのです。わたしたちは、わたしたちを殺してしまいかねない脅威の技術に身を委ねてきました。この脅威に立ち向かうには、人類が持つあらゆる叡智とクリエイティビティーを要するでしょう。もともとこの技術を培ったものが、叡智とクリエイティビティーであったように。

Jenny Leigh Smith:食品加工技術とエアコン

香港科技大学歴史学准教授。食品と食品技術の歴史に関する研究などに従事。

過去40年間、世界の死因トップ3は心臓病、がん、呼吸器系疾患でした。これらの死因を意図せずとも起こりやすくしてしまったテクノロジーや発明品はあるのか? ふたつ思い浮かびます。

食品の口あたりをよくするために使われる幅広い種類の機械や化学薬品は、もとの食材より著しく栄養価が低い加工食品を作り出し、いわゆる「裕福病」といわれるがん、糖尿病、高血圧や心臓疾患を引き起こしています。慢性疾患患者の死因を特定するのは自動車事故に遭った人ほど明白ではないものの、慢性疾患による死亡率を高める原因として医師や疫学の研究者が特定しつつあるのが、毎日どんな食べ物を食べているかです。

加工食品に偏った食生活はメタボリックシンドロームや糖尿病など、あからさまに悪影響を及ぼします。それと同時に、食品加工技術が食材から繊維、微量栄養素、体によいバクテリアなどを奪ってしまうことも同じぐらい悪影響を及ぼします。

精米したり、高温の油で食材の表面を揚げたり、食材が本来持っている栄養分を取り除いたりすることで、がんのリスクが高まったり、免疫反応が過剰になったり、慢性疾患が悪化したりすることが最近やっと明らかになりつつあるのです。

意図せず人をもっとも殺してしまったテクノロジーのふたつめに挙げたいのが、エアコンです。環境制御技術なしでは現代の生活様式は成り立ちませんが、だれがなにに制御されているのでしょうか? エアコンがなければアメリカ南部の温暖地帯(通称「サンベルト」)は存在しませんし、香港、シンガポール、ドバイなど、世界中に点在している経済拠点で起こっているヒートアイランド現象は言わずもがな。

現代のオフィスは常に一定の心地よい室内環境を保つように設計されていて、ショッピングセンターなどもそうです。そして、この「心地よく過ごす」ということが命取りになりかねないのです。食品加工技術が食材からビタミンや味のばらつき、苦味などを取り除いて、栄養価の低い食品の成り下りのようなものを作っているのと同様に、空調技術は野外の空気に触れたり、気候によって心地よく感じる居場所を見つけたり、夕暮れ時のひんやりとした空気の中で運動したいと思う心を奪っています。

ごく最近になって、科学者たちはずっと座っていることが私たちの健康を蝕んでいることを知りました。私たちをずっとデスクに縛りつけている技術を再検討する余地は充分にあり、その中でもエアコンは主犯格でしょう。屋内労働、情報経済、娯楽としてのショッピングや、デジタルネットワークに繋がれた電子機器への依存など、ある一定の生活様式を推奨することにより、エアコンは現代人を「制御」し、一日中、一年中働けるようにしてしまっています。

だから私たちは一日中デスクの前に座ってパソコンを見つめ続け、常に知識と価値を生産し続け、オフィス内の空調が寒すぎるからといって夏場にセーターを羽織るためだけにしか仕事を中断しないのです。

Blair Stein:鉄道(一例として)

クラークソン大学歴史学助教

意図せず人をもっとも殺してしまったテクノロジーとは? 「車輪」とか「製鉄」とか言いたくなるものの、この質問に答えるにはまず「意図せず」と「テクノロジー」という言葉がなにを意味しているのかを考える必要があります。

例えば、ある歩行者が「意図せず」バスに轢かれてしまったとします。この場合、歩行者を殺した「テクノロジー」は一体なんだったのでしょうか? 致命的な打撃となったフロントガラスでしょうか? 事故を防ぎきれなかったブレーキでしょうか? それとも、歩行者が接近するバスに気づけなかった要因となったヘッドホンでしょうか?

あるいは「銃は人を殺さない。銃を持っている人が人を殺すんだ」的な考え方をすれば、テクノロジーそのものに人を殺すことはできないという前提があるため、人の関与なしでは殺人は起こらないことになります。ということは、歩行者を殺したのはバスではなく、バスの運転者だったのでしょうか?

こういったリスク、有責性、そして技術が引き起こす人身事故の顛末については、専門的に研究している学者がいるぐらい複雑な問題なのです。

さらに、歴史的な技術について思考を巡らせ始めると、なにを持って「事故」とみなすのか、という難しい問題に直面します。なにが事故で、なにが事故でないかは、どこで起こり、誰が関わっていたのかによります。

鉄道を例にしてみましょう。実際鉄道事故で命を落とした人や、鉄道を建設している際に事故で命を落とした人をカウントせずとも、鉄道の建設がアメリカの植民地時代にもたらしたインフラ構造の変化は何千万人も殺しました。19世紀末に大規模な飢饉がネイティブアメリカンを苦しめていたなか、イギリスの鉄道システムは穀物をネイティブアメリカンには供給せず、ひたすら貯蔵庫へと送り込みました。ネイティブアメリカンの需要を満たさず、より広域の市場に供給されたのです。カナダでは1870年代に番号付きインディアン条約が調印され、カナダ太平洋鉄道の用地を確保するためにインディアンの先住権が白紙化されました。鉄道が基盤となり、それ以降150年に渡って構造的な不平等が続いたのです。

当時を生きていた人たちにとって、国家の建設、そして技術的な革新の名の下では、ネイティブアメリカンたちの死は「意図せぬ」ものだったのかもしれません。鉄道そのものではなく、鉄道に由来する間接的な要因が関わっていたとみなされていたかもしれません。しかし、アメリカとカナダの両国において、鉄道は帝国の機械のひとつでした。帝国主義の下、帝国が入植者に約束した開拓の夢にそぐわないからといって原住民を排斥する衝動を具現化したテクノロジーのひとつに過ぎなかったのです。

鉄道が一番多く人を殺したテクノロジーだとは言っていません。ただ、鉄道の歴史をふりかえることで、事故死はだれの責任なのか、テクノロジーのリスクとはどのぐらいなのか、またそれによってどのぐらいの死者が出ているのかを検証すればするほど、冒頭の質問を答えるのは難しいとわかっていただけると思います。

Jonathan Coopersmith:自動車

テキサスA&M大学歴史学教授。テクノロジー史の研究に従事。

自動車は過去100年間でもっとも人を殺している技術の代表格です。

アメリカでは自動車事故が毎日100人殺し、何千人もを負傷させています。もし飛行機事故やテロリスト集団が毎日100人殺していたら、世間はもっと激しく抗議するはずですよね。

しかし、私たちは自動車による人身事故をあたりまえと思ってしまっています。自動車が世界に大々的に普及するにつれて、死者の数が急激に増えているのも目の当たりにしています。

20世紀初頭は道路が誰のものなのか、緊張した議論が展開していました。道路とはなんのためにあるのか? 道路はだれのためにあるのか? 1930年代になると、歩行者は道路から締め出され始めました。そして、徐々に自動車の速度が上がるにつれて、道路は歩行者にとってアクセスしにくいものとなっていきました。もし新型コロナウイルスがもたらした変化にポジティブな側面があるとしたら、それは道路から自動車が減ったことでしょう。これらの道路の多くは自転車のみ、または歩行者のみの利用に制限されています。

とは言いつつ、自動車の走行距離1マイルにつき1970年と同じ割合で死者が出ているとしたら、圧倒的に車の数も走行距離も多い現代においては年間15万人の死者が出ている計算になります。実際は3万5000人「だけ」しか死者が出ていませんから、自動車テクノロジーは安全になったと言えるでしょう。アメリカやヨーロッパ地域が世界のほかの地域に比べてどれだけ安全かも差は歴然です。

Raja Adal:印刷技術

ピッツバーグ大学歴史学助教。主にテクノロジー史の研究に従事。

印刷機はどうでしょう? その理由はこうです。近代の戦争の多くは、愛国心が引き金になったのは既知のとおりです。第一次と第二次世界大戦、ベトナム戦争などを思い起こしてみてください。愛国心はホロコーストからルワンダ、最近ではブータンにおけるロヒンギャの迫害に至るまで、虐殺と密接に関わっていることが明白です。これらすべての事例において、言語・人種・宗教・歴史など目に見えないイデオロギーで繋がっていると考えているひとつの集団が、別の集団に属していると思っている人たちを大量に虐殺しています。近代においては、この歪んだ愛国心が集団アイデンティティーを形成したケースが多く見られました。そして、印刷技術は愛国心を宣教するうえで非常に重要だったことは、政治学者のベネディクト・アンダーソンらも言及しています。印刷技術によって、新聞、小説、その他の文学が大量生産され、お互いを知らない相手や遠く離れた場所に住んでいる者同士を同じ集団に属していると思わせしめたのです。このようなことから、印刷機そのものはまったく無害な機械であるにもかかわらず、意図せずに大量虐殺に繋がっていると言えるのではないでしょうか。意図せず、というところが肝心です。テクノロジーは主体性を持ちあわせていませんから。

Peter Shulman:自動タバコローラー

ケースウェスタンリザーブ大学歴史学准教授

世界人口は18世紀以降飛躍的に増加していますから、人口の割合ではなく単に死者数だけで見るのであれば、近年の死者数は過去に比べるとはるかに多くなっています。現在の世界の人口は約80億人で、1900年の人口はたった15億人ちょい。そのまた1世紀前は10億人にも満たなかったでしょう。ですから、人をもっとも殺したテクノロジーというのは、産業革命時代に意図せず起こったものだと考えられます。もし総人口に対する死者数の割合で考えるならば、また違った答えにたどりつくかもしれません。

このような前置きをしたうえで、意図せず人をもっとも殺してしまったテクノロジーとして私が提案したいのは、1881年にジェームズ・ボンサックが発明した自動タバコローラーです。

ボンサックが発明したマシンは重量1トンにもなる大がかりなものでしたが、1分間で巻き取れるタバコの数は、熟練者が1時間かかって巻き取る量に相当していました。タバコ実業家のジェームズ・ブキャナン・デュークは、5年後にはすでにボンサックのタバコローラーを10機稼働していました。デュークは競合者には内密にボンサックと有利な取り引きを締結していたので、他者の追随を許すことなくタバコ産業の工業化をいち早く成功させたのです。タバコローラーに加え、19世紀中頃には葉タバコの火力乾燥技術が編み出されてよりマイルドな味のタバコを作れるようになり、それまではタバコのけむりを吸って口内に留めるのが習慣だったのが、けむりを深く吸い込んで肺にまで循環させるスタイルへと変化しました。かくして、順調に拡大しつつあったタバコ産業は、世界的な公衆衛生の危機を作り出すためのツールをすべて手に入れたのです。

もちろん、タバコはコロンブスが南アメリカに上陸する以前から摂取されていましたし、17世紀に入ると沿岸地帯にあるイギリスの植民地では輸出品として多く育てられていました。ヨーロッパでタバコの習慣が広まるとともに、その健康被害に警笛を鳴らす人も出てきましたが、それでもタバコの人気は衰えることがありませんでした。19世紀後半頃にはタバコは主に煙管で吸うもの、もしくは巻きタバコか噛みタバコ(後者は特にアメリカ人に見られた習慣)として広まっていました。そして20世紀に入り世界人口が爆発的な増加を見せた頃には、タバコの安さ、容易な摂取方法、強引な宣伝、グローバルに広がった市場、「害はない」という誤った認識、そしてどこでも買える偏在性などが相まって今までよりはるかに多い人々の手に渡るようになりました。これらのタバコを身近にした要因はすべて大量生産できるかにかかっていましたが、この決して好ましくない功績を上げたのが先のボンサック氏と彼の大切な顧客であったデューク氏でした。

過去50年間でタバコ消費者の割合がアメリカの成人人口の40%以上から15%未満に激減したにもかかわらず、依然として心臓病・肺疾患・がんなど、タバコの消費が原因とみられる死者数は年間50万人に登ります。世界的に見ると年間700万人以上がタバコ由来の疾患で亡くなっており、WHOの試算によるとこれは死者10人につき1人の割合だそうです。

公衆衛生局は半世紀以上にわたってタバコの危険性を警告し続けてきました。しかしタバコ会社はタバコの健康被害について重々理解していたのにもかかわらず公的には安全性をアピールし続け、あまつさえタバコに関する正しい知識の習得をも妨げてきたのはもはや疑いのない事実。それでもタバコによる死は「意図しなかった」と言えるのでしょうか?

Asif Siddiqi:奴隷船とダム

フォーダム大学歴史学教授

奴隷船:大西洋の奴隷貿易は16世紀初期とかなり前に始まりましたが、奴隷を運ぶためだけに造られた船の使用は17世紀から19世紀初頭にピークを迎えました。著書『The Slave Ship(奴隷船)』でMarkus Rideker氏が言及しているように、これらの奴隷船は動く監獄でした。さらに、資本家の商人がアフリカの西海岸から自由な男女を捕えてきて「奴隷」という商品に変えるために多くの作業員を雇って機械化したシステムだという点において、奴隷船はある種の工場でもありました。最後に、そして言うまでもなく、奴隷船とは奴隷を収容して長い距離を移動させる際、その人々の健康状態に最小限のケアしか払われない工業的なシステムでした。奴隷船は奴隷という「積み荷」を殺すために造られていたわけではなかったため、奴隷船によって殺された人々の死は「意図されなかった」と解釈します。奴隷船が中央航路を渡る間にどれほどの命が失われたかは定かではありませんが、David Ellis氏とDavid Richardson氏が最近発表した研究によれば、アフリカを離れたおよそ1千万人のうち、15%は移動中に亡くなったそうです。少なくとも150万人がなくなった計算になります。実際はそれよりも多かったのではないかと思われます。

ダム!:大規模な事故は知られているところではないし、多数の死者を出したとも限らないのですが、ダムにまつわる事故は稀ではありません。さらに、ダムがもたらす周辺環境への長期的なダメージを考慮すると、その悪影響がより明らかになってきます。私がダムをここに含めるもうひとつの理由は、ダムが太古から存在しているからです。数千年にわたって意図せずとも人を殺してきたテクノロジーの一例と言えるでしょう。近代では1889年に米ペンシルバニア州ジョンズタウンでダムが崩壊して2千人以上が犠牲になり、1917年にイギリス領だったインドのマディヤプラデーシュ州でダムが決壊して数千人、1963年にイタリアで数千人、1979年にインドのグジャラート州で5千人にものぼると言われた被害が出ています。しかし一番凄惨なのは1975年に中国の河南省で起きた事故で、大雨により複数のダムをつないだシステムが決壊し、20万人近い人々が亡くなりました。この事故により、1千万人以上が家を失ったと聞いています。悪化の一途をたどると言われている気候変動、それによる大規模な集団移住、さらにはインフラ管理の不備によって、今後ダムの事故はもしかしたら増えてくるのではないでしょうか。

Alan Marcus:航海技術

ミシシッピ州立大学歴史学教授。主にテクノロジー史の研究に従事。

冒険を可能にしたテクノロジー、船。船に飛び乗って新世界を訪れた人たちによって、ネイティブアメリカン人口の80%から95%が消滅したと推定されています。もっとも有害だったのは天然痘と麻疹で、チフスも一因でした。

はしか、というと大して重篤な病ではないと思われるでしょうが、知識も対策もないままの人口が晒された場合、壊滅的な被害を被ります。今で言えば、新型コロナウイルスに罹患しても病院もなければ人工呼吸器も薬もなくて、自分でなんとかするしかない状況と同じです。

旧世界から来た人々は自分たちがもたらした結果だとは夢にも思っていませんでしたから、長い間、実に150年間もこの因果関係に気づきませんでした。当時の旧世界では病は局所的な現象だと考えられていて、己の体のバランスの崩れ、あるいは「悪い空気(malairが転じてmalaria、マラリア)」に触れたせいと考えられていたのもありました。悪い空気に触れると病気になる、と考えられていたのです。

ヨーロッパ人がヨーロッパに帰った時、彼らは新世界の病原菌を持ち込みました。その後アフリカに進出して奴隷貿易を始めた際には、新世界と旧世界どちらもの病原菌を持ち込みました。結果として何千万人、何億人もの人が殺されました。単に新/旧世界という構図ではなく、三角関係なのです。

Erik Loomis:鉄道技術

ロードアイランド大学歴史学准教授。主にアメリカの労働と環境史の研究に従事。

鉄道事故が自動車事故より多くの人を殺したかどうかはわかりませんが、19世紀の鉄道による致死率の高さはショッキングです。率直に言えば、当時の乗客も労働者も、鉄道に関わることで命に関わるリスクにさらされていたのです。何十年もの間、アメリカの鉄道はヨーロッパと比べてはるかに危険でした。その実態は鉄道史を専門とするMark Aldrich氏が恐ろしいほど克明に書き記しています。鉄道労働者はゾッとするほどの頻度で命を落としており、車両同士に潰されるのも常でした。脱線事故は乗客、鉄道員もろとも殺しました。鉄道事故による死者数が極めて少なかったイギリスとは対照的に、アメリカの鉄道会社をはじめ裁判所や政治家までもが鉄道事故の被害者に対して無関心を貫きました。鉄道はアメリカ建国以来初めての交通網だったこともあり、新しい職や新天地を求めて電車に飛び乗ろうとした人が死ぬこともよくありました。

さらに、鉄道は街中で歩行者を定期的に殺しました。人口密度が高い中心街にも線路が縦横無尽に敷かれ、歩行者の安全を守るための管理はほとんどされていなかったからです。線路と道路との間に溝が走っているところも多く、手押し車や荷馬車で渡ろうとした人々が線路内で立ち往生し、列車に轢かれてしまうこともしばしばでした。このうえ、蒸気機関車は大量の煙と騒音を排出し、人々の生活の質を著しく低下させたのです。

鉄道会社の果てしない貪欲は、ジェイ・クックやジェイ・ゴールドと言った資本家たちによる無責任な投機につながり、経済を傾かせました。1873年の恐慌、そして1893年の恐慌はどちらも大不況をもたらし、もともと貧しかった人々をも巻き添えにして貧困と絶望感が拡大しました。1877年の鉄道ストライキ、そして1894年のプルマンストライキはどちらも鉄道会社を相手取った大規模な労働ストライキでしたが、同時に鉄道会社にほとほと愛想を尽かした市民運動でもあったのは興味深い点です。ストに参加した人の大半はスト中の労働者ではなく、個人の意思でデモに参加した抗議者だったのです。

20世期に入り、鉄道は安全になりました。しかし、大企業によるアメリカ市民の命を軽視する態度は依然と変わっていませんし、防げたかもしれない事故死が続いています。コロナ禍での精肉工場においても同じことが起こっています。

Mar Hicks:コットンジン(綿繰り機)

イリノイ工科大学歴史学准教授。『Programmed Inequality: How Britain Discarded Women Technologists and Lost Its Edge in Computing』著者。

多くの人を意図せず殺してしまったテクノロジーについて考えるとき、人類の歴史と長く寄り添っていたテクノロジーが想起されます。それらは工業の発展にあまりに大きく貢献したために、欠点があってもごまかされたり、さらには隠し通されてきたりしたものもあります。

イーライ・ホイットニーが1794年に発明し、19世紀に至るまで広くアメリカに普及したコットンジンもそのようなテクノロジーのひとつだと言えるでしょう。コットンジン(綿繰り機、「コットンエンジン」の略)のおかげで、原綿を加工前に整える作業が飛躍的に早く、効率よくなりました。そして効率よく加工できるようになったおかげで、綿花の価格をあげたのです。

コットンジンがもうひとつ変えてしまったこと。それは、アメリカにおける奴隷制度の定着化でした。綿花の価格が高くなり、利鞘も増えました。そこでもっとお金を儲けるために、人は人を奴隷として使い、綿花を摘み取らせたのです。コットンジンの発明後、白人のプランテーション所有者は生産量を増やす一方だったために、奴隷制度は急激に拡大しました。1790年から1808年に奴隷の「輸入」が禁止されるまで、8万人以上の人が奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられました。1790年から1850年にかけて、アメリカで奴隷にされた人の数は「家財奴隷」と呼ばれる世襲の奴隷制度により70万人から300万人以上に増えました。南北戦争勃発の頃には南部に住んでいる人口の3分の1が奴隷制度に囚われた人々でした。

すべてはコットンジンが切り拓いた綿工業ブームのため。19世紀中頃には世界中の綿の圧倒的多数をアメリカが提供し、綿の生産量は1800年以降10年ごとに倍増していきました。「アメリカの経済力は、奴隷にされた黒人たちの背中によって培われた」といわれるのは、綿工業、そしてその綿工業によって築かれた個人の財産と国家の財産すべてが、奴隷にされた人々の人生を犠牲にして成り立っていたからです。

もしコットンジンが発明されていなかったら、アメリカの奴隷制度はもっとずっと早い段階で廃止されていたかもしれません。アメリカに連れてこられる途中で亡くなった人々、アメリカで亡くなった、もしくは殺された人々ーーそれらすべての人命の損失を累計すると、コットンジンはまさに意図せずもっとも多くの人を殺してしまったテクノロジーとは言えないでしょうか。そしてその奴隷にされた人々の痛みと絶望、そして彼らの子孫が今をも直面している社会の不平等をも考慮しなければなりません。

18〜19世紀のアメリカ南部で白人事業主がテクノロジーを用いて人種差別、絶望、そして死を増幅させたように、現存するテクノロジーのいくつかは今なおアフリカ系アメリカ人の命を奪っています。ですから、コットンジンに関するテクノロジー史には特別な注意を払う必要があると思っています。テクノロジーはその時代の背景を切り取って生まれてくるからです。背景に人種差別があれば、そのテクノロジーは人種差別を助長しやすくなります。現存している不平等を無視したうえで、経済基盤や社会構成を補強しやすくなります。技術者たちがテクノロジーを使ってなにかを「直そう」とするとき、技術的なソリューションのみではその背景に潜んでいる問題を解決できないのです。

だからこそ、STEM教育を実践している教育者が歴史を学ぶことは大切です。古典研究者や歴史学者が欠如している大学のSTEMプログラムは生徒たち、ひいては社会全体の公益に反します。社会背景を考慮していない狭義での「技術の進歩」は、意図せずに恐ろしい結果を生み出します。それは真の意味での進歩ではありません。

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