五百二十人の犠牲者が出た一九八五年の日航ジャンボ機墜落事故から八月十二日に三十五年を迎えるのを前に、事故機のタイヤを設計した大手メーカーの元技術者が、タイヤと事故原因に関連する仮説を手記にしてまとめた。自身が携わった事故機の墜落に、長年にわたり心を痛めてきた元技術者。手記につづった思いを胸に、この夏は初めて上野村の御巣鷹の尾根へ慰霊登山するつもりだ。(市川勘太郎、梅村武史)
この元技術者は「ブリヂストン」で航空機用タイヤの開発を担当した東京都港区の黒田昌弘さん(75)。大阪府出身の黒田さんは関西大工学部を卒業して入社し、配属された航空機用タイヤ部門に長く勤めた。
◆あの日見上げた
あの日は偶然、次男と長女を連れて訪れた新宿のビル展望台から、飛行する事故機を見上げた。事故の翌日、黒田さんの目がテレビへくぎ付けに。当時住んでいた東京都東村山市の自宅で、自ら担当したタイヤが無残に傷付いているのを目の当たりにしたのだ。
「同僚と開発したタイヤがこんな姿になってしまって。なぜ墜落したのか愕然(がくぜん)とし、体が震えた」。黒田さんは振り返る。
八七年六月、旧航空事故調査委員会は調査報告書を公表。事故機の後部圧力隔壁の不適切な修理に起因し隔壁が損壊したことで、垂直尾翼などが損壊し、飛行性能の低下と主操縦機能を喪失したために事故が起きたと推定した。
◆納得いかない
しかし、黒田さんは「事故原因を解明してほしいと期待していたのに疑問が多く、技術者の視点では納得がいかなかった」と語る。
黒田さんは二〇一七年、事故犠牲者の坂本九さんの「上を向いて歩こう」を題材にした小説を執筆。一八年には、元日本航空社員の論文に事故機は十一年半の間、事故原因の一つとされた垂直尾翼の胴体接合部など内部検査をしなかったとの記載を見つけた。
二十三ページある手記によると、事故機は十六本と主輪が多く、直進走行性が高い。着陸時に滑走路で機体を安定させようと、垂直尾翼の方向舵(だ)の操作を繰り返す。このため、黒田さんは尾翼の付け根にある圧力隔壁上部と機体外周部に大きな負荷がかかったとみている。国内線で離着陸回数が増え、金属疲労が急激に蓄積した恐れがあるという。
ただ、垂直尾翼は一部破壊されるなどして、黒田さんの仮説を裏付ける証拠はない。「航空史の中で誤ったものを伝えてはいけない。正しい事故原因を明らかにしたい」。黒田さんは事故に向き合い続ける。
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